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練習法

「ちゃんと弾けるようになってから」が、一番上達を遅らせる

演奏動画を「完成させてから出す」のではなく、4〜8小節の未完成のまま送ること。これが上達を加速させる理由を、桐朋出身の垂野鮎子が現場の添削例とともに説明します。

本記事を読み始める前に、お伝えしたいこと

PaletteTone に動画をお送りいただくときは、撮影は手元のみで構いません。顔も本名も出さなくて構いません。撮り直しは何度していただいても構いません。動画は会員限定の Facebook 非公開グループ内だけで共有され、SNSや Google にも、外部にも一切出ません。

本記事は、この前提を読み終えてから読まれることを想定しています。


たるのピアノ教室の垂野鮎子です。

ピアノを再開された大人の生徒さんから、ほぼ必ず聞く言葉があります。

「ちゃんと弾けるようになってから、動画を出したい」

その気持ちは、自分が再開する側だったとしてもよく分かります。けれども、上達という観点からは、この発想こそが、再開組の上達を一番遅らせています

本記事では、なぜ4〜8小節の未完成な動画をお送りした方が、1曲完成版の動画より上達するのかを、3つの理由から説明します。


完璧主義者の心の中で起きていること

まず、「完成してから出したい」という気持ちの中身を、もう一段分解します。

私が見てきた生徒さんの多くは、ご自身ではこう感じています:

  • 失敗の証拠を残したくない(下手に弾けた瞬間を、動画として固定したくない)
  • 下手な自分を、自分の耳で聴くのが怖い(録音再生のボタンが押せない)
  • 過去の自分(子どもの頃の演奏レベル)を裏切っている、と思いたくない
  • 他の人(上手な大人)に並んでから出したい

これらは「気持ちの問題」と片付けられがちですが、実際には演奏行為そのものを止める力を持っています。練習はできても、録画は押せない。録画はできても、送信は押せない。

完璧主義者は、自分の中の「これ以上は許せない」のラインが他人より高いので、そのラインを越えてから動画を出そうとすると、永遠に出せません。

ラインを下げるのではなく、ラインの場所を変える。これが、4小節送付の発想です。


理由1:4小節への添削は、1曲への添削の20倍具体的になる

1曲全体に対する添削は、どうしても抽象的になります。

「全体的に音色を意識して」「フレーズの歌い方を考えて」「テンポをもう少し落ち着いて」。これらは正しいのですが、正しすぎて、家に帰ってから再現できません

一方、4小節に対する添削は、こうなります。

ご投稿いただいた4小節(モーツァルトのソナタ K.331 主題冒頭)について。

  • 2小節目の左手2拍目、薬指の関節が落ちています。1小節目との連続でラインが切れる原因はここです。
  • 3小節目のスラー終わり、右手の手首が早く下がっています。終止音 (G) の上で手首を残してください。
  • 4小節目のテンポ、半拍分だけ前のめりになっています。原因は左手の和音準備で、右手につられず左で時間を作ってください。

このレベルの具体性は、短い動画でしか出せません。1曲通しの動画では、こうした粒度の指摘を10箇所も書いたら、生徒さんが受け取りきれないからです。

私が添削した実例を、3つ並べます(生徒さんの許可を得て、要約しています)。

添削事例1:バッハ インヴェンション第1番、最初の4小節

50代の女性の生徒さんが、独学で1ヶ月練習された結果として送ってこられた動画です。

私の添削の中心は、「2声目(左手)の動機が、1声目(右手)の動機の倒立になっていることを、左手の入り(2小節目アウフタクト)でもっと意識してください。いま、左手が右手の伴奏のように後ろに引っ込んでいます」というものでした。

翌週、同じ4小節が再送付されました。左手の動機が、明らかに前に出てきていました。同じ4小節を、3週連続で送られた後、生徒さんから「インヴェンションを通したくなりました」とご連絡があり、そこから次の4小節へ進まれました。

添削事例2:最初の1本を送るまでに、3ヶ月かかった方

30代の女性、再開4ヶ月目、ベートーヴェン悲愴第2楽章をやりたい、と入会された方です。

入会されてから3ヶ月の間、一度も動画を送って来られませんでした。LINE で「撮ろうと思っては、消しています」とご連絡が何度かありました。私からは、「撮ったら消す前に、一度だけ送ってみてください。私はその撮ったものを見ます」とだけお返ししました。

4ヶ月目に入って、ようやく8小節送ってきてくださいました。テンポも音もまったく整っていない、何度も録り直したものだということが分かる動画でした。

私の添削はこう書きました。「送ってくださって、ありがとうございます。この8小節のことではなく、まず申し上げたいのは、3ヶ月間消し続けたあなたが、いま私に音を聴かせてくれたこと、それがいちばん大きい一歩です。8小節の中で、3小節目の左手の和音の置き方だけ、次回試してみてください。それ以外は、いまの段階ではどうでもいいです」。

その方は、いまでは毎月3〜5本、4小節〜8小節の動画を送ってくださっています。最初の1本に3ヶ月かかった、ということに、それ自体に意味があったと振り返って思います。

添削事例3:ブルグミュラー「アラベスク」、転調の前後

再開3ヶ月目の女性で、「中盤の転調がうまく弾けない」とコメントを添えて送られました。

私の添削:「転調の前の小節の右手 (E♭)、ペダルを早く踏み替えてください。いまは前のフレーズの和声を引きずって、Bメロの冒頭が濁っています」。

3週間後、その方は「アラベスクを通せました」とご連絡をくださいました。これは、4小節という単位で「転調の前後だけ」を集中して詰めたからこそ、現実的な時間で解決できた例です。


理由2:練習の一巡りが、月8〜10回回るようになる

学習の効率は「演奏 → 添削 → 修正 → 再演奏」の一巡りが、どれだけ速く回るかで決まります。

送付の単位一巡りの所要時間月の回数
1曲完成してから送る2〜3ヶ月0.5回
1ページ単位で送る2〜3週間1〜2回
4〜8小節で送る3〜4日8〜10回

同じ1ヶ月で、添削を受ける機会が16〜20倍違います。

ただし、この数字は「振り返りを回した回数」であり、「上達速度がそのまま16〜20倍になる」という意味ではありません。一巡りを速く回しても、1回ごとの添削を吸収できないと、ただ走っているだけになります。

私の観察では、同じ4小節を3回前後送られている方(=講師の添削を反映して再送付される方)が、最も伸びています。1回送って次へ進む方は、添削を受けても定着しません。**「送付の回数を増やす」より「同じ箇所を反映して再送付する」**ことが核です。

ただし、これは「3回送らないと意味がない」という話ではありません。1回送ることにも、それ自体に大きな価値があります。私が見てきた中で、もっとも上達された生徒さんの中央値が「同じ4小節を3回前後」ですが、最初の1本を送られたこと自体が、その後の3回より、ずっと大きな一歩です。3回反復は理想形であって、1回でも価値があります。


理由3:完成主義の心理的なブロックが、外れる

「完成してから出す」を前提にすると、永遠に動画を出しません。

これは精神論ではなく、行動科学で繰り返し示されてきたことです(Locke & Latham のゴール設定理論〔1990、目標の難易度と達成率の関係についての行動科学の標準理論〕、目標勾配仮説など)。達成基準が現在地から離れすぎていると、人は行動そのものを先延ばしします

「4小節でいい、手元のみでいい、本名なしでいい、何度でも撮り直していい」と基準を下げると、行動が始まります。行動が始まると、結果として完成にも近づきます

これは、再開組の方によく見られる「完成しないまま積み上がった未完の楽譜の山」を解消する、唯一の方法です。


4小節送付が向く方・向かない方

向く方:

  • 1曲を最後まで仕上げきれずに、次の曲に手を出す傾向がある
  • 練習の方向性が合っているか、こまめに確認したい
  • 子育てや仕事の合間で、まとまった練習時間が取れない
  • 退職後、毎日の練習リズムを作りたい
  • SNSに上手な動画を出している方を見て、自分は出せないと感じる

向かない方:

  • 譜読みの段階で詰まっている方(これは個別レッスンの方が早いです)
  • 発表会など、目標日が決まっていて1曲を仕上げる必要がある方(通学レッスンと併用が向きます)
  • 添削を受けて修正する気がない方(送っても活きません)

4小節を送付するときの実務的なコツ

  1. テンポは下げて構いません。原曲テンポにこだわらず、確実に弾ける速度で。
  2. 手元のみの動画でOK。譜面台の隣にスマホを立てかけるだけで撮れます。
  3. 可能であれば、同じ4小節を週に2〜3回送ってください。前回の添削を反映した版を出すことが、もっとも伸びる方の共通点です。ただし、1回送るだけでも価値があります
  4. 「ここが上手くいかない」という質問を添えてください。漠然と「添削お願いします」より、具体的な問いがある方が、深い添削が返ります。

よくある質問

Q. 4小節だと、音楽として成立しないのでは?

学習段階では、成立させる必要はありません。「演奏として聴かせる動画」と「添削を受けるための動画」は別物です。後者では4小節が最適の単位になります。

Q. 同じ4小節を何度も送るのは、恥ずかしいです

会員限定の非公開グループでは、同じ箇所を何度も送られる方こそ歓迎されます。継続して取り組まれていることが見えるためです。私の観察では、同じ4小節を3回前後送られている方が、最も伸びています。「何度も送ることが、上達の条件」と考えてください。

Q. 動画ではなく音声だけでもいいですか?

可能です。ただし、運指やフォームを見てほしい場合は、手元の動画があると添削の精度が上がります。

Q. 撮ろうと思って、毎回消してしまいます

新しく入会される方の3割ほどが、最初の1本までに2週間〜3ヶ月かかります。これは私たちが見てきた現実の数字です。撮ったら消す前に、一度だけ送ってみてください。送ってくださった動画への、私の最初のお返事は「送ってくださって、ありがとうございます」です。

Q. 送付0回の月があっても大丈夫ですか?

はい。月によって送付が止まる方は珍しくありません。今月送付0回でも、退会していただかなくていい設計です。他の会員さんの動画と添削を読まれているだけでも、十分に得られるものがあります。


執筆: 垂野 鮎子(桐朋学園大学卒。ショパン国際ピアノコンクール in ASIA 銅賞・審査員特別賞、全日本学生音楽コンクール第2位。ピティナ正会員/指導者ライセンス上級。たるのピアノ教室主宰)

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